ツニーミュージックのブログ

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落とし穴にははまらないぞ~万馬研太朗

「十三歳のサムライ」について

無邪気な少年時代
 私は二本松市の郭内に生まれ育って、少年隊の霞ケ城は僕たちの遊び場、ホームグランドでした。日曜日は朝から出かけて行って、かすみ池でカジカ釣りをしたり、シジミをとったり上の川で大きい沢蟹をとったり、遊び放題でした。ゴミ捨て場をあさっては、フジフィルムのベルマーク(白黒フィルムのネオパンSSの箱の中の説明書の端っこに付いていた)を集めて、クラスで1位2位を争っていました。ライバルは毛糸屋の息子が持ってくる毛糸に付いているベルマークでした。ボクたちは一度に放出すればすぐに1位になれる程の点数を貯蓄していましたが、そのうち飽きてしまって下級生にくれたり、捨ててしまったりしたのです。
 その頃、二本松少年隊剣舞をやるので各クラスから2名!というお達しがありまして、「背の大きいの2人」という担任の一声で、2番目に大きかった私が落とし穴にはまり、やる事になってしまいました。私は詩吟なんて嫌いだったし(詩吟の人ごめんなさい、子供の私にはわかりませんでした)人前で踊るなん考えた事もなかったので、ま~ったくやる気がありませんでした。
しょうがなくてやってるうちに、何かだんだん面白くなってきて、最後の頃は本気になってた気がします。
 そして中学2年(十四歳)の終わりに最後のステージ、3年生の謝恩会。く~~、3年生にはフルートの憧れのA子さんが!!どうしようどうしよう。汗をかきすぎた手から刀が滑って客席に飛んでいく、悪夢だ、悪夢だ、助けてくれ~。そして、もう一人の自分が悪魔の囁き「A子さんにカッコいいとこ見せる最大のチャンスだぜ」「無理です。緊張しすぎて刀が鞘に収まりませ~ん」だから、もうダメ。
 これ少年隊とはあまり関係ない話ですね。ま、こんなことして少年隊と同じ年の頃、彼らと同じ場所で無邪気に育ってきた私です。

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曲のコンセプト
 今年は「戊辰150年」という事で、福島県内でも白河や会津や、二本松でもいろいろな催しが行われています。1968年は「明治100年」と言われて、お祝いムードでしたが今年2018年が「明治150年」じゃないのは歴史が見直されているのでしょうか。
 私は、5~6年前から今年の「戊辰150年」に合わせて「二本松少年隊150年」の曲を作りたいと強く思っていました。二本松少年隊の曲と言えば昭和32年の伊藤久男さんと、昭和40年の三橋美智也さんの曲が有名です。二本松の菊人形の会場でも1日中流れていますが、さすがにもう古いのではないでしょうか。
 もっと新しい、若者がカラオケで歌ってくれるような「二本松少年隊」の曲があったらいいんじゃないかと思った訳です。ただ、やはりイメージ的には戦(いくさ)の描写や、「美少年」とか「美しく散る」とかの落とし穴ワードばかりでして、どう作っていいのか解らないままでした。
 作詞には「焼き直し」というテクニックがあるようです。ピンクレディーの「ペッパー警部」を初めてテレビで見たのは、中華屋で昼飯のチャーハンを食ってる時でした。凄いインパクトを感じて、面白い時代になったな~とワクワクしたのを憶えています。
 この曲を何度か聴くうちに、あれ~このシチュエーションの、公園のベンチのカップルと警察って何かにあったような・・・・。あれ~「もーしもーしベンチで囁くお二人さん」の「若いおまわりさん」って曲と同じじゃないですか!さては、阿久悠先生パクったなと思ったのですが、まさかそんな事あるはずないものと信じてました。
 そしたら何と!20年後くらいかな、テレビで阿久悠先生が「ペパー警部」は「若いおまわりさん」の焼き直しだって言ってるではありませんか!私の直感は当たってたんです!
 ここからが私の仕事です。「二本松少年隊」を焼き直して新しいものにするにはどうしたらいいのでしょうか。作り始めて1時間ぐらいで出来る曲もありますが「二本松少年隊」はもう何年もたってしまいました。映画なんかでは構想〇年なんて大袈裟なのはありがたく映画鑑賞させて頂くべきですが。私の曲などは何年かかろうが、なんの意味もありません。
 「少年隊」は本当に美少年だったのか?沖田総司みたいな路線かい?写真は残ってないのかな?土方歳三の写真はカッコいいな。などと思いを巡らすうちに、二本松少年隊を訪ねて、二本松にやってきた女の子がいた事を思い出しました。これだ!!!「少年隊」に逢いたくて二本松に来てくれた少年隊ファンの視線から書けばいいんだ。
 ここまで来れば、後はさくさく。「あなたに会いに来ました みちのく二本松 150年前の十三歳のサムライ」 実はこれ、作詞と作曲が同時進行で出来た曲です。
 作詞家の先生の歌詞は一句一字そのまま使わないといけないので、作曲のAメロとかBメロとか構成も決まってしまうので、つまんない構成でも作るしかないのがつまんないですね。その反対に曲先というのもありますね。先に曲が出来ていて、それに歌詞をつけていく方法、これは作詞家の先生が大変ですけどこのほうがまとまった曲になりそうです。
 これらの仕事を1人でするのが、いわゆるシンガーソングライターですが、その人たちは歌詞を先に書いてから作曲しているのでしょうか。それとも曲が先なのでしょうか。私の理想は歌詞と曲の同時進行です。ギターでコードを弾きながら、五線譜に歌詞を書きながら成り行きまかせ。もちろんAメロとかサビとか意識しながらのやっつけ仕事。夜が明けて明るくなる頃にICレコーダーに録って聴きながら眠りにつければ最高の1日です。そんな感じで出来たのが、この「十三歳のサムライ」です。どうぞよろしくお願いいたします。

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プロフィール
万馬研太朗福島県在住。多くの作品は福島や二本松を題材にして、演歌・歌謡曲・POPSの作詞・作曲を行っている。コミックソングも得意分野。演歌でも歌謡曲でもない、新しくもなく古くもない中間的なジャンルを提唱しており、中間歌謡曲と位置づけしている。すでに60作品以上YouTubeニコニコ動画で配信されているが、代表作は「滝桜」「花筏ハナイカダ」「黄昏のダンディ」「十三歳のサムライ」など。「イカニンジンの歌」は福島の地元アイドル「餃子っ娘ジュニア&ひとくち餃子」に提供され、CMソングにも起用されている。また、自ら撮影した動画や写真は石井朗の名前で彩玉プロダクツへ提供している。

 

十三歳のサムライ 歌詞
あなたに会いに来ました みちのく二本松
百五十年前の 十三歳のサムライ
あなたの名前が残る 久保町坂の記念碑
手向ける白い花を 近くのお店で
ああ あの日も今日のように 暑い陽射しの夏
名も無き少年たちは 走り続けたのか
いつまでも私の心に 生き続けています
後の人が名付けた 少年隊

あなたが現在を見たなら 何を思うでしょう
守りたかったものは 生き続けてますか
あなたの事を知らない 人々に伝えましょう
咲かずに散っていった 小さな足跡
ああ 城跡の丘から 安達太良を望む
名も無き少年たちも 祈り続けたのか
いつまでも私の心に 生き続けています
後の人が名付けた 少年隊

ああ あの日も今日のように 暑い陽射しの夏
名も無き少年たちは 走り続けたのか
いつまでも私の心に 生き続けています
後の人が名付けた 少年隊
後の人が名付けた